第6回 未来予測の歴史①

未来予測のはじまり

今回と次回に分けて、未来予測の歴史について説明することにします。

紀元前の時代、宗教や神が大きな力を持っていた時代、未来は神の神託として預言されるものでした。その後、ギリシア・ローマ時代には、それまで神話社会として描かれていた「ユートピア」(理想社会)が、人間が創造した社会として描かれるようになっていきます。プラトン『国家』では、哲学者の王によって統治された理想のとれた国家が理想的な社会として提示されています。

現在に繋がる本格的な未来予測の予兆が芽生えたのは、15世紀のルネサンス以降のことです。レオナルド・ダ・ヴィンチは、その代表的人物です。彼は、飛行機械や軍用機などを構想し、その後、実現された製品の先行アイデアを発想しています。また彼は、当時流行していたミラノのペストに対応するために理想的な都市モデルを開発しています。それは、広い道路、建物内の新鮮な空気の換気口、病気の蔓延を防ぐための地下衛生システムといったインフラを備えるというものでした。彼の発想は当時の時代を遙かに先取りしたものでした。

ルネサンスと並行して欧州で始まった海洋探検と新大陸への領土拡大は、新大陸のどこかに存在するかもしれない社会を「ユートピア」として表現する動きへと繋がりました。トマス・モア『ユートピア』(1516年)、トマソ・カンパネラ『太陽の都市』(1602年)、フランシス・ベーコン『ニューアトランティス』(1627年)などが代表例です。これら作品は、いずれも架空都市の形を語りながらも、理想形と考えられる都市の姿が表現されています。しかし、それらは、神話や宗教の中で語られるような非現実的なユートピアとは一線を画し、もしかすると手の届きそうな世界として語られています。

18世紀には、イギリスで産業革命が始まり、農耕社会から産業社会への第一歩を踏み出しました。また同世紀末に起きたフランス市民革命は、貴族中心の封建社会からブルジョアジーを軸とした市民社会への転換をもたらしました。こうした時代になって初めて論理に基づく未来予測が行われるようになっていきます。

世界最初の未来予測に関する書籍は1798年に初版が刊行されたロバート・マルサス『人口論』と言われています。
マルサスは、当時増えつつあった人口が増加する根本的な原因は人間の性欲にあり、これは理性によって防ぐことは不可能であり、人口は対比等級数的に増加すると語ります。一方、必要とされる食糧生産は等差級数的にしか増やせないため、人口過剰による貧困や悪徳、貧困を原因とする疫病が発生し、最終的には人口が抑制されるだろうと語ります。

このような事態を防ぐためにも、耕作地の生産性向上が必要と説く一方で、貧困層が一定数いることが事前予防的な抑制策に繋がるとマルサスは語ります。
マルサスの人口問題に対する姿勢は理性的かつ冷静で、「知っていることについてのみ理屈は言うべし」「学問的な根拠を持たず、実現の可能性がない仮説、推論をすべて問題外とする」という姿勢が、本書をして世界最初の未来予測という名誉を与えました。

科学に対する大衆の眼差しがさらに高まっていったのは19世紀の後半です。この時期は、一般の人々にも科学や技術を通じて未来を考えたいというニーズの高まりを受けて、1845年に雑誌『サイエンティフィック・アメリカン』が創刊しました。また1872年には、現在も続く一般的な読書を対象とした雑誌『ポピュラーサイエンス』も誕生しました。こうして、人々は次第に未来に目を向けるようになっていったのです。

第1次未来ブーム(19世紀後半~20世紀初頭)

最初に社会的に大きく未来に対する関心が高まった時期は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてです。当時はまさに第2次産業革命と呼ばれる各種の技術革新により、大量生産、輸送手段の革新が実現し、大衆消費社会が実現しました。こうした中で、未来を予測するSF小説という新ジャンルが誕生しました。世界最初のSF専門誌と呼ばれる<アメージング・ストーリーズ>誌が創刊されたのは20世紀初頭の1926年でした。未来に関する注目は、最初は時代を反映した冒険譚の一ジャンルとして始まりました。

世界最初の本格的SF作家と言われたフランスのジュール・ヴェルヌが活躍したのは19世紀後半のことでした。彼の小説では、『気球に乗って五週間』(1863)(気球)、『地底探検』(1865)、『海底二万里』(1869)(潜水艦)『月世界へ行く』(1869)(宇宙船)、など、彼の小説世界には当時まだ実用化段階までに至っていなかった数々の最先端技術やテクノロジーを盛り込んだ冒険活劇小説が展開されました。またヴェルヌは、その名もずばり『二十世紀のパリ』(1861)という名の未来のパリをテーマとする本も執筆しています。(この本は生前未刊行で、死後90年を経た1994年に発見され初めて出版されました。)

 彼の小説の中には、さまざまな未来技術が登場しますが、ヴェルヌはこれらのアイデをどのようにして得ていたのでしょうか。実は、ヴェルヌはこれら小説の構想のヒントを得るために、図書館に足繁く通い、さまざまな研究論文を読みあさっていたと言われています。彼の小説が現在においても魅力的な光を放っているのは、SFでありながらも荒唐無稽ではないリアルさがそこにあるからでしょう。

同じくヴェルヌとともにSFの父と呼ばれるH・G・ウェルズ(イギリス)もほぼ同時期に『タイム・マシン』(1895)『透明人間』(1897)『宇宙戦争』(1898)『モロー博士の島』(1896)などの作品を発表します。「未来予測(Foresight)」という言葉を最初に使ったのもH・G・ウェルズでした。ヴェルヌの小説に書かれた技術内容の多くは実際に実現し、一方ウェルズの内容はいまだに実現していないものが数多くあります。

これはどちらが良い、悪いということではなく、フィクションのベクトルをどこに定めるかという、両者の執筆方針の違いによるものでしょう。ヴェルヌが集めた情報は、近未来に実現する可能性の高い技術情報を元に執筆を行いました。一方、ウェルズのアプローチは「新しいアイデアシステム」と呼ばれるもので、読者がストーリーが信頼できれば、実際には不可能な要素に見えるものでも、現実感を加えることができるというものでした。

結果としては、両作品とも1世紀を経た現在においても多くの人々に読み継がれているのは、両者の小説がともに単なる新アイデアの流用に留まらず、小説としての高い完成度を持っているからでしょう。

ちなみに日本においてもほぼ同時期の明治初期には、ヴェルヌに影響を受けた作家押川春浪が、日本最初のSF小説と呼ばれる『海底軍艦』を執筆しています。いずれにしても、一般の大衆の関心も含めて、未来への関心が最初に高まったのが、19世紀末から20世紀のこの時期でした。
この時期の1929年(昭和4年)7月10日東京朝日新聞では、「未来を語る 空想座談会」という記事が15回連載されています。座談会の出席者は、当時の大学教授、小説家、作家、実業家などの有識者が中心で、画家の村山知義、岡本太郎の父親で漫画家でもあった岡本一平の名前なども載っています。

さてこの15回にわたる座談会の題材として取り上げられているテーマを見ると、「太陽熱利用」「地下熱利用」「思想偏向弾」「人造人間」「若返り法」「雷の活用」「臓器移植」「思考記録法」「通訳機械」「念写放送」「望遠鏡のように音が聞こえるもの」「海上田園」「天候自由自在」などといったもので、実用化されたものもある一方、荒唐無稽なものも多数ありますが、座談会の内容は至って真面目です。いずれにしてもファンタジーではなく、科学的な目線も交えつつ未来を想像したいという眼差しが最初に登場したのがまさしくこの時期であったと言えるでしょう。

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