冬眠技術に求められる“冬眠倫理”

スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」[1]では、木星への旅の間、使用するエネルギーを節約するためにクルーは冬眠している描写があります。呼吸や心拍は生命が維持できる最低限に止められ、体温も極めて低く抑えられている設定です。そのような技術は、映画のみならず、SFの世界ではよく見かける描写です。

もともと動物ではよく見られる生活行動である冬眠ですが、これを人間もできるようにすれば…というアイデアは、既に医療分野では脳低温療法として、低酸素,外傷,出血などで損傷を受けた脳に対し,脳保護作用や頭蓋内圧低下作用を目的として,損傷後早期に,一定期間,体温(脳温)を32-34℃まで低下させる治療として活用されています。[2]

実際に映画さながらに、長期の宇宙飛行のための冬眠も研究されています。米国のSpaceworks社とNASAが2013年に「スペース・トロル(深い睡眠状態)」機構を組み込んだ、火星探査用の有人宇宙船のコンセプトを発表しています。[3]

我が国でも、内閣府のムーンショット型研究開発制度において「2050年までに人工冬眠技術を確立する」という目標が掲げられており、荒唐無稽な話ではなくなっています。実際に、筑波大学と理化学研究所の共同研究で、マウスを冬眠に似た状態に誘導できる新しい神経回路、Q神経(Quiescence-inducing neurons : 休眠誘導神経)を発見した研究成果が出てきています。哺乳類における冬眠の誘導に成功したことで、今後人間でも冬眠が出来るようになる可能性が示唆されています。[4]

1968年の映画で描かれている設定が現在研究されている人工冬眠技術として実際に実現しつつあるわけですが、現在では数時間(医療分野)程度の長さが将来的には、年単位での人工冬眠も可能になってくると考えられます。冬眠が実際に行われるようになった場合、社会的な影響については、どのようなものが考えられるでしょうか。

まず、ポジティブな影響を考えてみましょう。

分かりやすい利用法としては、SF作品にも描かれているような長期の宇宙旅行における活用があります。地球からの打ち上げ重量を減らすために、旅行期間の間冬眠状態に置いておけば、代謝が少ない=食糧・水を積み込む量の他、生活に必要なエネルギーも削減できるというわけです。また、難病や事故で障害を負った人が、治療法が確立されるまで冬眠するということも、将来的にはあり得るかも知れません。

いっぽう、ネガティブな影響も当然ながら想定されます。

これもSFに出てきそうな話ですが、「死んでもらっては困る」人を、死なせないために冬眠状態に置くことで、社会的・経済的便益を得ようとする行為があるかもしれません。また、一生のうちに何回もチャンスがない機会(例えば,受験)を有利にするために、冬眠しておいて、自分に有利な状況になったら目覚めて、その機会を捉えるという行為もあるかもしれません。

そもそも、冬眠状態におかれた状態の人の法的/社会的地位はどのようなものになるのでしょうか。冬眠状態でも、税金は納めるのでしょうか。住民登録等の社会的なステータスは維持されるのでしょうか。年齢は冬眠している期間も通算されるのでしょうか。会社や学校での所属はどうなるのでしょうか。また冬眠が長期にわたった場合、肉体の代謝が低い状態にとどめられるので、老化がある程度抑えられたとして、自分の子供の方が肉体的な年齢が逆転してしまう…という可能性もゼロでありません。その場合、親子関係はどのようなものになるのでしょうか。目覚めたときに、家族や身寄りのある人が居なくなっていることもあるかも知れません。その間、冬眠にかかる費用や、自宅の資産管理等は誰が負担するのでしょうか…?

いずれにせよ、冬眠技術が確立され、社会に実装されるタイミングで、このような社会制度との間での調整や、冬眠を行うに当たっての手続きの整備などが行われると思われますが、このような話は、何も人工冬眠技術に限られた話ではなく、BMI(Brain-Machine Interface)など、身体にテクノロジーが今後積極的に導入されることになる時代においては、頻繁に発生する議論になると考えられます。最終的には、先端的な(医療)技術を、我々がどのように受容するのかという倫理の問題に帰結するわけです。

とかく技術的にできることをベースに未来は想定されることも多いですが、その実装は人間社会(+地球環境)の上で行われることになるので、未来予測をする際には、社会の受容性、その際の技術適用の倫理について、きちんと考慮に入れておく必要があることを、この人工冬眠技術の事例は示しています。

[1]2001年宇宙の旅 https://www.imdb.com/title/tt0062622/

[2]日本救急医学会 https://www.jaam.jp/dictionary/dictionary/word/0507.html

[3]” Torpor Inducing Transfer Habitat For Human Stasis To Mars” https://www.nasa.gov/content/torpor-inducing-transfer-habitat-for-human-stasis-to-mars

[4]ムーンショット型研究開発制度が目指す未来像及びその実現に向けた野心的な目標について(内閣府)https://www.kantei.go.jp/jp/singi/moonshot/dai4/siryo1.pdf

[5]筑波大学・理化学研究所「冬眠様状態を誘導する新規神経回路の発見」https://www.riken.jp/press/2020/20200612_1/index.html

 

部活テック
新着記事 人気記事
A愛スマート・キッチンライフ
部活テック
新着記事 人気記事
A愛スマート・キッチンライフ