”人のデジタルツイン”で満たされる本質欲求

最近のトレンドワードである、エコーチェンバーとフィルダーバブル。

エコーチェンバーは、自分と意見や価値観の人に囲まれて、近くにいる人たちがみんな、自分の意見を肯定してくれるような環境のことです。フィルターバブルは、インターネット上の検索行動やアクセス履歴などから、趣味嗜好が分析され、視界に入る情報の大半が、興味関心があるものに絞られることです。

それぞれインターネットやスマホの定着で顕在化した実態ですが、ネガティブな文脈で捉えられることが多い。例えば、エコーチェンバーは間違った解釈を正しいと感じるようになる、または、ごく一部の意見を世の中の意見のように感じてしまう、といった勘違いを起こしやすいという環境として説明されることがあります。フィルターバブルも、異なる意見や価値観、興味のない情報が視界に入らないようにするバリアをつくるものという位置づけで語られています。

しかし、実態をきちんと分析すると、エコーチェンバーは自分の意見や個性を肯定されることで、自分自身に自信が持てるようになり、自分の成長のために自分と違う価値観を受け入れることを後押しするものになっていました。自分自身を受け入れてもらえると、新しい視点や意見が欲しくなるようです。フィルターバブルもインターネットの普及で情報爆発となり、一人ひとりの接触情報が処理可能情報量を大幅に超えてしまった時代の中で、自分の関心がある情報を的確に素早く収集する、必要な情報を見逃さない、というタイムパフォーマンスを向上させる仕組みとして必要不可欠なものになっています

それぞれ、インターネットやスマホによって構築され、顕在化した現象のように言われていますが、実は昔から似たような環境派存在していました。まさに昭和の頃のサラリーマンの毎日にも、エコーチェンバーとフィルターバブルは存在していました。例えば、会社の中の上下関係は、今よりもっと厳格で、上司が言うことが間違っていても「そうですね!」と答えて機嫌を損ねないようにするようなこと珍しくありませんでした。殆どの発言を肯定される上長はまさにエコーチェンバーの中にいるのと同じだったといえるでしょう。周囲がみんな自分の意見を肯定してくれるポジションは心地良いと感じて、「その場所を守りたい。」「自分が自分らしくいられる居場所だ。」と感じていた人も多かったのではではないでしょうか。

フィルターバブルも同様で、例えば金属業界の企業に就職したら、多くの人は業界を変えず、会社すら変えず数十年勤務することが当たり前だった時代です。当然、業界の情報に詳しくなり、業界の情報ばかりに囲まれて過ごすようになります。水産業がどのような状況なのか、アパレル業界がどうなっているかということには興味も無く、そもそもいつものくらしに、他業界の情報は入って来ません。つまり、デジタルの仕組みがあろうがなかろうが、人は自然と情報をフィルターするし、環境が情報をフィルターするのです。

なぜ、このような状況になるかというと、そこには人が持つ普遍的な欲求が強く作用しています。マズローの欲求5段階説では、生理的欲求と安全欲求が満たされると愛情と所属の欲求、承認欲求、自己実現欲求というように求める欲求がランクアップしていくと言われています。現代においては、多くの人が生理的欲求、安全欲求が満たされているので、愛情と所属の欲求、つまり自分の居場所となるコミュニティを求めるようになります。

現代ではリアルで自分の居場所と感じるコミュニティが見つけられない、まだそのポジションを得られていない人たちにとって、SNSなどを中心としたデジタル環境が愛情と所属の欲求を満たす場所になっています。さらにエコーチェンバー、フィルターバブルという構造によって、好きな情報や共感できる価値観に囲まれ、自身の意見や個性が肯定される環境を形成し、承認欲求も満たしてくれるようになっています。

デジタル普及前は、出世するか、権力を得る、もしくは愛する家族に自身の個性を認められ、いつも受け入れてもらえる、というようなことがなければ得ることができなかったかもしれない環境と捉えることもできます。

デジタル時代の今、特にSNSを活用する若年層は、リアルとデジタルをうまく使い分け、自分のキャラや目的別に居場所を見つけています。アニメ好きの自分の時は、SNSのコミュニティで、仕事やスキルアップのためのコミュニティはリアルな仕事仲間、といった具合に。

そして、今、デジタルはメタバースに進化しようとしています。様々な期待がされているメタバースですが、人の普遍的な欲求を満たす「居場所」という視点でみると、人のデジタルツインがメタバースのコアバリューになるのではないでしょうか。

もう一人の自分がメタバース上に生まれ、その存在をリアルの自分が、自分の分身として認識するようになる。重要なことは、アバターとかアカウントではなく、自分自身としてデジタル上の人格を認識するということです。結果、人は2つの世界を手に入れることができ、自分自身を承認してくれる居場所をより見つけやすくなります。さらに、メタバースの世界ではリアルでできなかった、「こんな自分になりたい」という自己実現欲求も叶えてくれるはずです。

定年して、シニアになってから、高校生の時にやっていた野球をもう一度やりたい。メタバースなら体が動く、リアルさながらの緊張感をもって試合ができる、といった自己実現欲求を満たしつつ、仲間ができる(愛情と所属の欲求)、役割ができる(自己承認欲求)、というようにそれぞれの欲求が満たされます。

未来になっても、自己承認欲求や自己実現欲求のような人が持つ本質的な欲求は変わりません。これらの欲求は、人として非常に優先度が高い欲求であるこもとあり、それらが叶えられる場所や手段があるなら、人は自然とそこに魅力を感じ、当たり前のように使うようになることは間違いありません。VRではなくメタバースと名前が変わったのも、仮想現実ではなく、もう1つの世界ともう一人の自分を人々が手に入れることができることを伝えたかったのでしょう。自分のコピーが、メタバースに存在し、自己実現欲求などの根源的を満たす「人のデジタルツイン」が未来のあたり前になる社会は、あとわずか数年で訪れるかもしれません。

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