第3回 「予測」について

「予言」と「予測」の違い

 次に「予測」することの意味を考えてみましょう。未来を推察する言葉として、「予測」の他に、「予言」「予想」「予報」といった表現もあります。これらの違いはどこにあるのでしょうか。
「予測」は、「将来の出来事や有様を何らかの根拠に立って推し測ること。その内容。」(岩波国語辞典)であり、一方「予言」は、「普通なら見通せない未来の出来事・有様を、こうなると言うこと。その言葉。」(同)となり、「予報」は、「事前に(推測して)知らせること。その報」(同)と、インフォメーションに力点が置かれています。

客観性をどのように担保するかが、「予測」と「予言」を隔てているものだと言えるでしょう。
しかし実際には何を「信頼のおける客観性情報である」と考えるかは、個々の時代背景や社会意識によって異なります。かつて古代中国や日本社会では、亀の甲羅に熱を加え、入ったひびの形で未来を占う「亀卜占い」が政治を判断する局面で実施されていました。古代エジプトや西洋諸国では、占星術やタロット占いが同様の役割を果たしていました。現在、政治の判断や企業経営にこうした占いを重宝する人はいないでしょうが、この時代においてはシャーマン(呪術・宗教的職能者)を通じた預言や神託が客観的判断と認識されていたのです。
コロナウイルス環境下で一気に話題となった妖怪アマビエですが、江戸時代肥後ではこの妖怪が現れると「6年間豊作が続く一方、疫病が流行ることを予言する獣」として考えられていました。予言獣はこれ以外にも、人の顔をした魚の「姫魚(ひめうお)」牛の身体を持つ「件(くだん)」などがいましたが、こうした予言獣も一定の信憑性で人々の中で信じられていたのです。
私たちは、一般的に権威的な情報やデータに弱く、そうした情報に接すると、とかく安易に「これは客観的データだから」という判断を下しがちです。例えば「学識経験者の○○さんが言ったから」、「政府のデータに書いてあった」などといったことを、つい錦の御旗にしてしまいがちです。しかし未来予測に関しては、そうした断言や判断は慎むべきでしょう。もちろんそうした情報の重要性は認めますが、断定するのではなく、より多様な未来の可能性にも、同様に配慮していくべきと言えるでしょう。

「予測」の「確からしさ区分」による濃淡

さらに言えば、「未来に起こると考えた情報」の確からしさについても、確率の粒度には違いがあります。
確実に起きる(もしくは起きた)事は、「Fact(事実)」ですが、それ以外の可能性事項は、可能性の高低に応じて、高い順に「多分起こる(Probable)」、「起こるかもしれない(Possible)」、「起こりえるかも知れない(Possible)」とその確からしさに濃淡が生じます。、一般に、情報の確実性は、現時点での情報の確からしさに加え、時間が先になるほど不透明となっていきます。こうした情報の確実性の濃淡も理解した上で未来を考えていくことが大切です。

こうした確実性の濃度(起こりそうな未来)による未来のありかたに加え、「あって欲しい未来・望ましい未来(Preferred Futures)」の姿を考えることも重要です。一般にはあって欲しい未来は、「予測」ではなく「願望(Preferable)」の範疇に入りますが、近年のフューチャー・スタディーズでは、単に未来の姿を予想するだけではなく、「起こりそうな未来」(課題の残る未来)と「望ましい未来」(課題の解決した未来)のギャップを確認し、そこに至る為のプロセスやアクションプランを考えることが未来研究の目的のひとつになっています。
未来を考えるということは、「ただ一つの未来に関する可能性」を述べるのではなく、「あり得る未来の可能性の幅を考える」ことであり、そこと「ある得べき未来の可能性」のギャップを埋めていくことが、私たちが未来を考えること意味であり意義なのです。

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